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tabaccosen

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「ぷんぷん」の成立するところ。

■「ぷんぷん」の成立するところ。(風景)

○こんなバカげたコトバ。が。「ぶんぶん」。である。なぜ、
この国で、「ぶんぶん」。さとう珠緒によって頻繁に使われ
ている。いつからなのかは、これからだが。たぶん、あの斉
藤隆の「声を出して読む日本語」などと歩調を合わせている
に違いない。乱れというか、収拾のつかないところで、コト
バが氾濫状態にある。反乱かもしれない。こうした頃合わせ
と、<漫才ブーム> と。今回の<漫才ブーム> と、言われるも
のは、前回のフジテレビの横沢タダシによるものとは、違う。
あれから、20数年。日本社会には、こうした<ウイット>を、
日常的に受け入れる土壌が成立しいる。と、思う。○かなり、
アクセス、「さとう珠緒」であり、「ぶんぶん」へのアクセ
スの難しさを感じている。のだ。状況の変化や、社会の受容
力などから、「それ」(ひとつの現象)を、どうのこうのと、
「分析」(吟味)していくのも、オカシイ。まともすぎるとい
うか、ばかばかしいということだ。つまり、それなりの方法
があるだろうと言うことだ。○ここは大事だ。

○「まっ、いいか」というのを、pc 検索した。立川志の輔
が、でている。「淡路・阪神大震災」に関してのことだ。そ
こに、土屋賢二の「まっいいかの思想」というものを、引き
合いに出している。多数の本を出している、お茶の水女子大
の「哲学」の教授。らしい。

○ポイントは、いつくかある。
「まっ、いいか。」
「仕方がない。」
そして、「ぷんぷん」には、連続した「思考」があり、それらを使うことを許す、「界隈」が存在している。これは、日本人の<自然観>なのだ。柔軟で、強靭で、広大無辺な、この<自然観>は、実在のそれらを置くとき、それらに対置される、一切の人工物としての「思想」は、色を失う。空海の賢明さは、ここにある。<神道>の取り込み、がそれだ。ここに、「日本仏教」という未文明の「思想」が、思考の破談という性格を付与されて、定立したのだ。

○古くて、新しい「テーマ」。
それが、和辻哲郎の<風土・論>「以後」であり、
オギュスタン・ベルクの「ポスト・モダニズム」であり、
<近代の超克> の論議だ。

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